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私のNKO〜通訳編〜

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私のNKO 2011年

通訳ボランティア 小辻 太一さん(英語)

“I wish all your best!”

自分が通訳をしていたオレグ・クリサ先生は、レッスンの終わりにいつもこう言います。
「頑張って!/健闘を祈る!」という意味なのですが、生徒さんはこの言葉をかけられるとみんな、充実感や決意のこもったいい笑顔を見せてくれます。そのとき、通訳の自分はその言葉をあえて訳そうとはしないのですが、次第に自分も
”All your best!”と心の中で呟くようになりました。
 本年12回目のNAGANO国際音楽祭ですが、自分にとってこの音楽祭に関わるのは今回が初めてでした。個人レッスンでの通訳の他に、海外からいらしたオレグ先生の付き添いや事務局スタッフとして音楽祭運営の手伝いをしました。なかでも印象に残ったのはやはりレッスン通訳で、いかに生徒さんが真面目に、一生懸命にレッスンを受けているか、いかにオレグ先生が丁寧に、そして熱心に指導しているのかを見ることができました。そんな姿を見て、
「自分も生徒さんの力になりたい」
「自分も通訳や英語の勉強を頑張らなければ」と思うようになりました。
 オレグ先生のレッスンは生徒さんたちからとても評判が良いようでした。何より先生は物腰が柔らかく、どのレッスンでも生徒さんの良いところを最大限褒めていました。ただ、もちろん直すべきところは細かく指摘し、重大な間違いは厳しく接します。個人的に良いなと思ったのは、先生がよく言う「もし自分(受講生自身)のやり方のほうが好きだったら、(先生が教えた方法に)変えなくてもいいんだよ。」という言葉。レッスンというと、先生の言うとおりにしなくてはいけないと思いがちです。しかし、いや、だからこそ、オレグ先生は生徒さんにもっと主体的に考えるようにと促しているのではないかと思うのです。
 この一週間で自分は大きく成長しました。通訳としての知識、経験が増えたことはもちろん、音楽家として、そして人間として素敵な方々に出会い、大きな刺激を受けました。このようなすばらしい機会を与えてくれた音楽祭運営スタッフ、講師の方々、生徒のみなさんに感謝したいです。本当にありがとうございました。

私のNKO 2007年

通訳ボランティアK・Yさん(英語)

私はハーマン先生の個人レッスン通訳を4日間させていただきました。受講生の生徒さんは、すでに演奏活動をされている方、音大生、音大を目指している方、小学生のこどもたち、と様々。けれど皆さんそれぞれに一生懸命音楽に取り組んでいて、そのお顔はとてもステキです。
いろんなレベルの生徒さんがいるなか、ハーマン先生はまず一通り生徒さんの演奏をお聴きになると、その生徒さんに必要なポイントをすばやく見つけ指導されます。
一つ一つ優しく丁寧に指導され、そうして生徒さんの演奏はどんどん変わっていきます。ときにはコミカルなアクションをして笑わせたり、歌って見せたり、踊って見せたり…。

ハーマン先生のご指導で感銘を受けたことがあります。小学生の生徒さんのレッスンの中で何度か出たお話です。

「楽器を習っていくとき、先生の教えをきっちりと守り、楽譜にかじりついて、きちんと正確に弾く技術を磨くことにどうしても集中してしまいがちだけれど、それでは音を出す機械のようなもので音楽とは言えない。音楽は自分も楽しい気持ちになり、また聴いている人を楽しませるもの。楽器を体の一部のようにして自然な形で、まずは自分自身が演奏を楽しんで弾かなくてはいけない。」

またこんなお話もありました。
「こどもたちはそれぞれの持ち味、才能を持っている。それゆえ、周りにいる大人、指導者は、それを潰さないように型にはめず、それぞれの持ち味を引き出し伸ばしてあげる環境を整えてあげなければいけない。」

ハーマン先生の音楽家としての懐の深さを感じました。
私自身も日頃、子供相手の仕事をしておりますので、正に同感です!という思いでした。
そして、一クラシックファンとしても、「本物の音楽家」と「未来の音楽家」の間でレッスンを目の当たりにできたことは本当に幸せでした。素晴らしい経験をさせていただきました。受講生の皆さん全てにお会いできたわけではありませんでしたが、皆さんありがとう。

Thanks to Tomo, Rika & Yuri, Yuno & Takara,  Erika,  Haruka,  Keiko,  Io,  Nozomi,  Mayu,  Yasuyo,  Motoya,  and especially to Mr. Hamann!

おまけ。
実は通訳ボランティア初日は、最近久しくなかったほどの緊張感で、朝5時半に目が覚めてしまい何も食べられないまま杏泉閣へ向かいました。(ボランティアが緊張してどうする?)こういうときの特効薬は、やっぱりクラシックです。片道45分の車の中、特効薬中の特効薬、敬愛するマエストロ・チョンのピアノを聴いていきました。そして杏泉閣に着く頃には元気をたくさんもらって出陣?!しました。こうして、聴く者の心を癒し、また大きな力を与えてくれるクラシックってすばらしい〜!!

私のNKO 2006年

通訳ボランティアR・Mさん(ドイツ語)

NAGANO国際音楽祭最終日。世界で大活躍のヴァイオリニスト、中澤きみ子は1712年製作のストラディヴァリウス「ダ・ヴィンチ」で最高の演奏を収めた。会場のあちこちから感動のすすり泣きが聞こえてきた。
 今回の豪華な音楽セミナー講師陣の中にはフィンランドの若き天才ピアニスト、ヘンリ・シーグフリードソンもいた。魔法の手を持つ彼の紡ぎ出す音色は、受講生一人一人の心を即座に虜にした。その日は、一人の長い髪の女の子がピアノの前に座った。名古屋から来た19歳。小柄な彼女は、小さな声で名前を言った。先生が聞き返すほどの小さな声だった。ひと呼吸おいて彼女はリストのバラード2番を弾き始めた。その場にいた者たちは、ハッと息を呑んだ。その細い体からダイナミックな音は弾け、空間を駆け巡り、いつの間にか壮大なメロディを繰り広げていた。
「すばらしい!」先生はひと言いった。そこから細部に渡る指導が始まった。彼女は間髪入れずに先生の言葉に反応し、悪い箇所を直していった。一時間がたった時、彼女は見事なまでにこの曲を弾きこなしていた。
 先生は言った。「きみの大きな成功を祈る」と。すると今まで表情一つ変えなかった彼女の顔が突然くしゃくしゃになり、嗚咽した。「芸術家は泣くものだ」先生のその言葉に彼女は身をよじって泣いた。そして「ありがとうございました」と深くお辞儀して退出していった。先生の言魂は彼女の心に力強く、それも将来の成功を約束するように響いたに違いない。それは、深く心揺さぶられる美しい場面だった。
 今年もまた熱き音楽家たちの夏が終わっていく。携わった者たちは精神の高揚を覚え、受講生達は高度な技術と確かな魂の糧を得た。
 大きな太陽が西の空に沈んでいくように、ずっしりとした満足感を残してNAGANO国際音楽祭は終わっていった。

私のNKO 2005年

通訳ボランティアR・Mさん(ドイツ語)


 *アーティストの真髄

初日一番目のA子さん。足をひきずってピアノの前に座ったA子さんを、どうしたのかと気遣うヘンリ先生。
まず、一通り弾いてもらってから細部に指導を入れていく。
気品と優雅さ、そして抜群のユーモアがあるヘンリ先生の指導は、次第にA子さんの心を捕らえていく。的確なアドバイスにより完璧に弾きこなしたA子さんに、ヘンリ先生はこう言った。

「あなたは、アーティストだ。私のコピーで弾かなくていいんだ。 自分の判断で弾いてごらん」

 2週間前、ヘンリ先生は、コンサートとレッスンでチェコスロバキアに行っていた。そこで70歳くらいのおばあちゃんの絵画展を観て、ボロボロ泣いたという。さらに、そのおばあちゃんの詩の朗読で息をのんだそうだ。一言も何も言葉は分らなかったそうだが、「アーティストとは、こういうものだと強く感じた」と話されていた。

 ところで、次のレッスンだが、16才のB男君が20分経っても現れない。やきもきするヘンリ先生。さて、どうなることか!


 * あの手この手のヘンリ先生

初日、2番目のレッスン。待っても待っても来ないB男君。事務局にTELしたり・・・それでも来ない。 するとそこへB男君がニューッと現れた。ホールの外でずっと待っていたという。
「次の時は、中で座って待ってるんだぞ。残念ながら、君の今日のレッスンは短いよ」

 緊張ぎみのB男君、一通弾いてみたけど、ヘンリ先生は、ウーム。まず、指の形から指導を始めた。美しい音色を求めて弾くように言われるのだが、ウーム。
「好きな女の子をどれだけ感動させられるか考えて弾いてみろ!」
とヘンリ先生。それでもウーム。

 最後に「目をつむって弾く練習をしてくるんだ。今度できないとぶんなぐるそ!」
ユーモアたっぷりに言うヘンリ先生にB男君は、ニコッと笑って頷いた。
がんばれ、B男君!ヘンリ先生の優しいまなざしがそこにあった。



通訳ボランティア M・Sさん(英語)

講師はウィーンの一流のプロ、選ばれた受講生、緊張のレッスン、生徒は1時間でもこちらは3時間連続、多い日は1日5時間、肩が凝りました。 講師の話をすべて日本語にすれば、当然元の会話の2倍以上の時間がかかります。貴重なレッスンの時間が無駄に費やされてはと、できるだけ口をはさまないでいて、受講生が首をかしげたり、よくわからない様子の時には、余分な時間を取らないよう的確に簡潔にと気をつかいました。


 *天井にぶつかる(!)

ある受講生の楽器の持ち方がとても気になるようでした。「日ごろついている先生からは持ち方を直す様には言われないかい?」との質問。「『それ以前に学ぶことがたくさんある』と言われます。」「今のままではじき天井に突き当たってしまう。突き当たればもうそれ以上、上達しようがない。持ち方を直すのは早いほどよい。」
こう言う時、日本語では「壁」にぶつかるはず。でも技術が向上してぶつかるのだから「天井」の方が的確?


 *誰のための音楽?

「音楽はひと(他人)のためのものではない、自分のためのものだ。自分が音楽が好き、楽器を弾くのが好き、でなくては弾いてもしょうがない」
「楽譜は偉大な作曲家が止むに止まれぬ感情を表現するために記したものだ。楽譜からそれを読み取り、引き出し、自分のものとして演奏することによって、聴く人の心を動かすような演奏ができる。そうでなくては(書いてある楽譜を通り一遍に弾くのでは)楽譜はただの紙切れに過ぎない」
「楽譜の音符を音にしただけでは音楽とは言えない。あなたの演奏を聴いてもあなたが何を訴えたいのか、何も伝わってこない」
「僕はこんな風には弾きたくなかったのですが先生が『ここはこんな風に弾くように』と言われたのです」
「君の演奏は君にしか決められないものだ。他人(先生)の考えで演奏するのでは君の演奏にはならない。自分の考えたように弾いてごらん」


 *バスを待っているのではない

「どの音符一つをとっても意味のないものはないんだよ。(フレーズの5音のうちの真ん中の3音について)今の弾き方をきいているとまるでいつ来るのかわからないバスを待っているような感じだよね。一つ一つの音符を掘り下げ、その意味を見いだし、フレーズの意味を考え、自分の考え、解釈を演奏するように」

「フレーズはパズルのピースのようなものだ、すべてのフレーズが前あるいは後のフレーズとぴったりかみ合って、曲全体ができ上がる」
「常にフレーズの一番最初の音が一番大切である。フレーズの最後の音はそれでお仕舞いではなく次のフレーズと密接に関係がある」
「フレーズを弾き終えてから次に移るのではなくて終わる前に用意しておくように」


 *練習時間が長ければいいというものではない。

「練習していてどこか思うように弾けない時、その部分だけを分解して練習するように。ああすればよいだろうか、こうすればよいだろうかと時間をかけて考え、しかる後にやってみなさい。そうしてうまくいかなければまた別のアプローチを考えて実行してみる。何も考えずにうまく弾けないところをやたら時間ばかりかけて練習してもうまく弾けるようになるわけはない。かける時間が短くても結果としてうまく思い通り弾けるようになればいいのだ。そうしてできた余暇に楽しいことをもっとたくさんして自分を豊かにしなさい」と言って、受講生がてこずっている箇所を、具体的に分解して速度を変えたり、リズムを変えたりして練習するやり方を示されるのでした。


 *イントーネーション(強弱)を間違えないで

多くの受講生に対してたびたび言われた言葉でした。クレッシェンドとかディミヌエンドなどの指示のない箇所での注意が多かったように思いました。先生が取り出して弾いてみては模範演奏をされるのですが、直されたのを聴いているとその弾き方で当然と思われるのですが、先生の注意の前の演奏では何も気づかない(受講生も私も)のですから、先生方の耳の素晴らしいこと、厳しいこと。同じフレーズが先生に直された後は生き生きと響くのです。


 *よく聴いて

「耳(聴覚)はどんなにも訓練できるのだから、自分の出している音を注意深くよーく聴くように。聴かないでいれば自分の出している音を意識しないで弾き進んでしまうことにじきに慣れてしまうものだ。聴かないで弾いてはだめ」


 *この出だしはどんな印象?

「音楽が天から降りて来る印象です」
「そうだね、そんな風に弾いてごらん」
曲のいろいろなところについて「ここはどんな印象?」と質問しては「男の人と女の人の掛け合い」、「問いかけと答え」と、わかりやすいイメージを抱けるようヒントを与え、曲のすべての部分について自分なりの解釈をもち、それを表現できるようにとの指導でした。


 * この作曲家は?

ラヴェルはラヴェルらしく、シューマンはシューマンらしく。同じメロディをラヴェル風、シューマン風、ラフマニノフ風と鮮やかにに弾き分けて。
「ドヴォルザークはどこの人?」「曲想の意味は?」「・・・」「それを生かして。」
どの先生も作曲家を偉大だと感じ、本当に尊敬していらっしゃることを折々に感じました。


 * 現代とは違う音響効果

「バッハの時代はね、宮廷とか教会堂のような場所で演奏したのだよ。だから一つ一つの音の余韻がとても長く残ったのだ。だから楽譜どおりに弾かないと(わんわんと響き合って)どうしようもなくなるのだ」


 *ボウイング(弓使い)

「普通フォルテはこの辺で、ピアノはこの辺で弾くが、フォルテをここで弾くことによってこういう効果が生まれる」
「弓は弦に押し付けないで。手で支えるだけだよ。ほら」
「弓を寝かせると木部が弦にぶつかって余分な音を出してしまう」
「ダウンボウだとこんな響きになるだろう、だからここはアップボウでなくては・・・・」「ボウをもっと使って・・」
同じ楽譜を演奏しても、先生の模範演奏に従って受講生が弾くのを聴いていると、弓の使い方でこうも表現が違ってくるものかと、「目からうろこ」の思いを何度もしました。


 *指使い一つでクラシックが演歌に?

生徒の試演を聴いて楽譜を覗きこみ「一体誰がこんな指使いを書いたの?これでは演歌になっちゃうよ。(「悲しい酒」のワンフレーズ、更にそれを中国の音楽風にも弾いて聞かせて)本当は『こんな(指使いを書いてある)楽譜は燃やしてしまえ』と言いたいとこだけど」と曲全体の指使い(の指示)をチェックし、訂正された。
同じメロディも指使いが変わると響きがまるで違うものになることに驚嘆。


 *動く譜面台(動きのある演奏を)

先生が楽譜を譜面台から取り、それを持って後ろ向きに部屋の中を歩き、生徒はその楽譜を見るため弾きながらついて歩く。
「直立して演奏しないで。柔軟な心と身体の動きは関連するはず。そうするとフォルテも自然に容易に出せる」
「暗譜したら練習のために部屋中を歩き回りながら弾いてごらん」
「バイオリンやビオラ奏者は、幸いなことに舞台での演奏中も動きながら演奏することが可能だ。曲に動きのある部分は自分の身体をも動かして弾くように。たとえ動き回らないで(同じ場所に立っていて)も身体は動かして。直立不動の姿勢では弾かないで」
ピアノの先生も椅子に座ってはいても、上半身をかなり自由に大きく動かしての演奏を聴かせてくださいました。


 *得られるものがないならレッスンをしてもらう意味はない

「去年ハーマン先生のレッスンを受けて以来、今日の日を楽しみに練習してきました」という小学生のAちゃん。「月1回のきみ子先生のレッスンは大好きなのですが・・・」毎週教わっている先生ときみ子先生の違いに悩んでいる親子が相談しました。「どんなによい先生でもどの生徒にとってもよいというわけにはいかない。レッスンをしてもらって、その先生のレッスンから得られるものが感じられないならきっぱりやめなさい」


 *自分の演奏中の様子をビデオで見たことある?

とても上手な演奏をした受講生に試演の後、こう尋ねた先生。
「最近は見たことがありません」「ぜひやってごらん。私も自分のステージをビデオでみてびっくりしてしまったよ。登場の仕方、お辞儀の仕方、なんてことだと思ってね。自分の姿を客観的に見るということはとてもよいことだよ」
私はその上手さに驚嘆して聴いていたのですが、弓(右腕)の動きが激しいことにも驚いていました。先生は直接的にはそのことを指摘されませんでしたが、ファイナルコンサートで彼女が演奏した時、音色がとても深くなっていただけでなく、初日にとても目立った弓の激しい動きは全然気にならなくなっていたのでした。
小学生の受講生の場合、ほとんど付き添いの親御さんがビデオを撮っていらっしゃいましたが、プロを目前にしている人たちこそビデオを撮ってみる意義も大きいのですね。


 *多彩な受講生

すべての受講生に付き合ったわけではないですし、日本人の講師のレッスンを見聞きする機会はありませんでしたが、ご一緒した受講生は小学生から社会人までさまざまでした。音楽専攻の高校生、音楽大学の学生、音楽大学を卒業し、秋のコンクールに向けて準備している人、社会人になって中断していたヴァイオリンを再開した人。はるばるニューヨークからご両親に伴われてきた人もいました。
 中に中学校の国語の先生がいらして、講師の先生から参加の目的を尋ねられて、「学校のオーケストラの指導のために自分の技術も磨きたい」とのことでした。彼女自身は「小学校のオケでヴァイオリンと出会い、アマチュアとして市民オケにも属して弾いていた。中学でオケの指導をすることになったので、今回参加した」と聞き、講師の先生は「とても素晴らしい」と言われ、まず自分が音楽の素晴らしさを実感し、生徒達に音楽の楽しさ、素晴らしさを伝えてほしいと熱心に指導されるのでした。
  音楽の演奏に限らず、物事の取り組み方、ひいては生き方に通じる示唆をいただいた濃密なレッスンだったと思います。受講生とともに講師の先生のお話をお聞きできる空間に身を置けたのは本当にありがたいことでした。